Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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綱覇佳秋氏(以下T)との対話 2018/2/23-3/01 『 #ファウンダー 』、 『 #ソーシャルネットワーク 』、 『 #ブレードランナー2049 』の狭間で
永澤 護·2018年3月1日木曜日

2018年2月23日
T:やっと『ブレードランナー2049』観ました。実写版『攻殻機動隊』もそうでしたが、アイデンティティが記憶っていうのはなんなんでしょう。韓国映画にもそんなテーマのがありました。日本以外の思想界では定番なんですかね。どこからきた発想なのかご存知ですか?
ストーリー的には私にとって見るべきところの何も無い作品でした。一方、美術は最高でしたね。良かった。完璧でした。
私:エピソード記憶のまとまりがアイデンティティのコアと考えられているのでしょうね。
T:記憶とアイデンティティはプルーストっすかねー。ま、興味無いっす。
私:欧米文化圏特有じゃないかな。ラフに見ると。
2018年2月25日
T:『ファウンダー』観ました。絶対のオススメです。マック(マクド)創設者の座右の銘はドナルド・トランプと全く同じ。Power of positive thinking 。ご存じ牧師の説教です。この説教どおりに生きるとマックが出来て大統領になる。これって『プロ倫』の出口なんですが、これを観たあと『ソーシャル・ネットワーク』も観て下さい。T型フォード・プロ倫・マクドナルド・ドナルドトランプ・Facebookまで一枚の曼陀羅になってしまいます。
http://thefounder.jp/comment.html
なんで藤田田だったかもわかりました。利用されるユダヤ人の映画は初めて観ました。
事前調査無しで観ることをオススメします。
私:了解しました。
藤田田とは?
T:高度成長期に日本にユダヤ人ブームを巻き起こした人です。
https://goo.gl/qwCW4C
日本人がユダヤ人好きになったのは彼からと言われています。
大衆にかなりの影響力がありました(ウチの田舎の親でも知ってるレベル)が、上層部にも影響があったのがなんともです。
https://www.shacyoyutai.com/mcdonalds_fujita/
さておき、『ファウンダー』は実に鮮やかにプロテスタンティズムの倫理と商人道(日本商人の倫理)との違いを描き出していると思いました。そしてその点で鮮やかに『ソーシャル・ネットワーク』に接続する。これ以上はネタバレになるので自粛します。
私:たった今『ファウンダー』観終わりました。実に面白い!  鍵はあの初代CEOの投資銀行スキームでまさに「ユダヤ人商法」ですね。
T:では次に映画『ソーシャル・ネットワーク』をぜひ。
http://eiga.com/movie/55273/
2018年2月27日
私:昨日『ソーシャル・ネットワーク』と『アメリカン・ゴッズ』シーズン1の第一話をプライムで観ました。ブラジル系のエドゥアルドがユダヤ人じゃないのだとすれば気になりますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%B3
2018年2月28日
T:ザッカーバーグはファイナルクラブへの入会が許されなかったところを見ると、ロックフェラーの血筋だとかいうのはガセネタなんでしょうね。https://www.facebook.com/note.php?note_id=178893902154133
私:あまり信憑性はないでしょうね。
その意味でも既述のようにエドゥアルド・サベイがユダヤ人じゃないかどうかが気になります。
T:ユダヤ人だとどうなるんですか? また、ユダヤ人じゃないとどうなるのですか?
私:ユダヤ人は抽象化能力が飛び抜けている人間が多いという通説がありますが『ファウンダー』の不動産スキームを提示した彼はユダヤ系、また『ソーシャル・ネットワーク』で彼に相当するポジションなのがアルゴリズムを提示したサベイです。
T:『ファウンダー』の不動産スキームを提示した彼がユダヤ系だという根拠はありますでしょうか?
私:ソネンボーンを調べればいいです。
T:私が持っている情報だと、ドイツ系ユダヤ人の家系に養子として取られた子どもなので、宗教はわかりません。「ユダヤ人は抽象化能力が飛び抜けている人間が多いという通説」は知らないのですが、もしそうだとして彼のケースもそうだとするとDNAではなく抽象化能力は育った環境ということになります。
養子ということで。
私:そうです。
T:そうですというのは何に対して?
私:もちろん文化的DNA。
いうまでもなくユダヤ人は生物学的DNA概念ではないので。
T:もちろんそうです。ユダヤ教信者はみなユダヤ人。
私:必ずしも改宗していなくてもいいです。
T:ソネンボーンのケースはユダヤ人じゃないでしょうね。
でも文化的DNAで抽象化能力が高くなるならそれは教育の問題なのでは? 公文やると計算力がつくのと同じですよね。
私:でしょうね。
T:ソネンボーンはユダヤ人家系への養子です。
私:幼少期の教育がユダヤ人の文化的環境? 何歳に養子になったのか。
幼少期?
赤ちゃんのとき?
T:それはさておき、ソネンボーンが薦めた不動産ビジネスは、僕はユダヤ的なのではなく極めてアメリカ的だと思いました。レイ・クロックはチェコ移民なので、ソネンボーンに出会ってアメリカ人になったんですよ。僕はこの映画をそう解釈しました。
私:なるほど。その見方もあり。先ほどの通説は非常に優れたユダヤ人自身が通説的に発言していたことがあります。
T:マクドナルドとFacebookがナラトロジー的に全く同一の構造を持っていることが核心です。それを言いたくて、2つの映画を連続して見ることをオススメしました。
私:私の着眼点も構造的パラレル性ですもちろん。ポイントは通説自体の真偽ではなくユダヤ人自身の自己言及またはセルフイメージです。しかしそれは今や人類の行方に大きく関わっている。
T:レイが店長候補をリクルートするのに何かの集会に行くシーンがありましたが、参加者はみな特徴的な帽子をかぶっていました。エンジ色もしくはグリーンの。あれはなんですか? ぜひ教えて下さい。
私:まだわかりません。
T:ポイントです。
私:通説を自己言及的に肯定したユダヤ人は人類史上初の人工汎用知能開発にかなり近い人間です。また後程。
T:帽子についてはご存じ?
たぶん、帽子はあの映画理解のキモです。
私:いえ我々日本人がよく調べないでわかるとは思えません。
二回観るべき?
『ソーシャル・ネットワーク』は事実と違う部分は気になります。
T:もし帽子が特定の宗教のものだとしたら…。
レイは何をリクルートしたのか。
気になっているんです。帽子はキモかもと。
私:あれは明らかに宗教の勧誘です。
T:ちなみにソネンボーンの出自はこれから。http://mcdonalds.wikia.com/wiki/Harry_Sonneborn
レイはユダヤ人です。で、ユダヤ人のレイは商売を知らなかったというのがポイントなんですよ。
藤田田の本の内容は忘れましたが、日本人がユダヤの商法だと思っているのはユダヤの商法でもなんでもないんですよ。
ユダヤ人がアメリカ人になったとき、ケミストリーされるのが、「ユダヤの商法」。これがミソです。
ここで帽子が最後のピースになるはず。わかったら教えて下さいね。
私:ユダヤ人でしたね。
しかしヨーロッパのユダヤ人はどう位置付けられるのでしょうね。
ユダヤ教徒の帽子ではない?
T:僕も最初映画を見たときにユダヤ人の帽子かと思ったんですよ。でも違ったら大きな読み間違いになってしまうので、ここは慎重を期したいと。あとすみません、先の「ユダヤ人でしたね」は誰がでしょうか。
私:失礼。レイです。
T:ありがとうございます!
私:しかし宗教がらみで一律に帽子というのはユダヤ教徒以外に何かご存知ですか?
T:知らないですが、それは私が無知な可能性があるなあと思っています。ユダヤ人の帽子っぽくなかったので、映画のは。
私:そうなんですよ。ユダヤ教徒らしくない。
しかしあえて新興宗教の勧誘場面を入れるでしょうか?
メジャーでなかったとして。
T:新興宗教ではありえないと僕も思っています。プロテスタントのなんとか派の集会かなあと。舞台が昔なので、今は簡略化されたけど以前は帽子かぶっていた可能性はあるかなと。ユダヤ教かプロテスタントかで大きく物語の構造が変わってくるので知りたいんです。ふつうにはユダヤがユダヤを搾取した話しなんでしょうけど、そうでなかったら…ちょっと…ねえ…。
私:ところで先の「ケミストリー」ですがユダヤ人の抽象的なスキームまたはアルゴリズムに「アメリカ」が化学反応するというのが私の当初からの仮説です。
スキームまたはアルゴリズム自体はもちろん商法ではないです。
ユダヤ人のアルゴリズムにアメリカが化学反応して「ユダヤ人の商法」になる。
例えば東海岸からカリフォルニアに移動していったITビジネスの源流はフォン・ノイマンですね。
ノイマンもユダヤ人です。
アインシュタイン、ファインマン、プランク、ハイゼンベルク等々ユダヤ人ですね。アインシュタインはカトリックの教育も受けてますが。
あとシュレーディンガーを忘れてました。
T:永澤さんの上述の「アメリカ」ってなんでしょう。それが私が思っている前述の「ユダヤ人がアメリカ人になったとき」と同じならば、同じ考えに至ったということですね。違うならその違いも興味深い。
私:とりあえずはアメリカに移民としてやってきてとりあえず追い返されずに「受け入れられた」家族とその子孫が「アメリカ人」として生活する中で身に付ける文化的歴史的な形成物です。そしてその核になるのがカルヴァン派の信仰に関わるものです。
T:なるほどありがとうございます。永澤さんの「アメリカ」は醸成されていくものなのですね。僕の場合は「ユダヤ人がアメリカ人になったとき」と書いたように状態変化を伴うものです。醸成というよりは炭火が長くくすぶって急に火が付くイメージ。醸成はもちろんあるのですが、そこにではなく状態変化を重視しています。
私:見方というか観点の違いで本質的な違いではないと思います。私の見方は綱覇さんの言い方で表現してもいいでしょう。「生活するなかで身につける」という要素は特定の時間尺度を前提していないので。
何らかの経験のきっかけがヒトによりさまざまあるでしょう。例えばアメリカに到着して24時間の間にも。極端なケースかどうかは別にして。
人により時間尺度は異なりますが化学反応アナロジーなので変化は相転移的になります。
T:本質的な違いは無いと僕も思います。僕が興味を持っているのは、プロテスタンティズムの倫理とアメリカ的なるものとの差分です。この差分にしか興味がないと言ってもいいくらい。で、その差分をもって「ユダヤ人がアメリカ人になったとき」のような状態変化が生じると思っています。なので、このジャンプのような状態変化にはプロテスタンティズムの倫理は含まれません。
そう人によりです。普通のアメリカ人は永澤さんの言説のように醸成されるのかもしれません。レイはユダヤ人だったからこそ、ジャンプになった。そこがあの映画のポイントだと思うし僕が面白いと思ったところです。
レイは醸成されてこなかったんですよ。ユダヤ人だったから。だから鮮やかに出た。
映画で見る限りですが、ザッカーバーグは醸成されていたのだと思いますね。
私:差分という「関係」に含まれるという理解が差分式の通常の理解だと思います。それ自体としては消えている移行する消失者という形で。
プロテスタント倫理が含まれる。
T:僕の場合、単にパラメーターの欠落を言っています。
私:人によりプロテスタントの倫理じゃなくアフリカや南米の土俗信仰でもいい。
もちろん北欧やゲルマン、ケルト等々。
不可視のアメリカン・ゴッズになる。
T:『ファウンダー』の場合、プロテスタンティズムの倫理とアメリカ的なるものとの差分に注目したいので『アメリカン・ゴッズ』とは別の文脈で語ることになってしまいます。むしろ僕の場合いっしょに語れるのはブレラン2049。
『アメリカン・ゴッズ』は古事記の文脈で語ることになります。僕の場合。
あれの最終3回くらいは神回ですよ。
ゴッズだから神回と書いたわけではなく。
私:『アメリカン・ゴッズ』の続きはいずれ観たいですね。
「レイはユダヤ人だったからこそ、ジャンプになった」ですが、ザッカ―バーグも曾祖父がユダヤ人ですね。
つまり彼もユダヤ系です。
私:ところでこの岡田さんのレビューなかなかイケテると思います。
http://originalnews.nico/60692
T:岡田氏評楽しく読みました。
でも僕の見たいのは受ける映画じゃないからなあ。受ける受けない/面白い面白くないのマトリクスで、受けないけど面白いというボックスでブレードランナー続編は見たかった。それがカルトムービーってことだもん。受ける面白い映画はマーベル作品でいいじゃん。と岡田氏にはいいたいです(笑)。ま、彼は映画で金儲ける仕事の人だからそれじゃ彼は困るというのはわかりますけど。カルトムービーも大切だよと。
私:岡田さんのはかなり言えてるかと。初代カルトムービー論としても考える材料になります。2049はキューブリックやタルコフスキーに憧れたが失敗したとも言えますよ。
もちろん失敗したのは2049に限ってのことです。2049はカルト作品にしたくはなかったので。キューブリックやタルコフスキーに迫る「歴史的芸術作品」にしたかったのです。それが失敗したのは当然です。偉大なカルト作品の続編でもあろうとしたので。にもかかわらず「カルト作品」であることを拒否したのが自己矛盾でした。
岡田さんのはそのあたりの矛盾を突いているのでしょう。
引用に関してですが、タルコフスキーの『サクリファイス』『ノスタルジア』の水と燃える家、黒沢清の『CURE』も水そして廃病院での探索が木馬の探索と共鳴、リンチの『マルホランド・ドライブ』の夜の舞台での歌唱とベガスでのエルヴィスのホログラムの歌唱、カフカの『城』の測量士「K」と安部公房の『燃え尽きた地図』の探偵(追う者が追われる者になりアイデンティティは物語の進展とともに崩壊し消失していく)等々かなり自覚的なんじゃないかな。
ヴィルヌーヴは『メッセージ』も合わせて考えるといいかも。
わりと聖書とか既存の「物語」をナイーブに使ってしまう傾向があるのでは。
T:キリスト教の呪縛に無自覚な監督では芸術作品は無理。僕は単にこの監督アホやと思って観てました。岡田氏もそう思ったから商業的な成功策を指南したのでしょうね。僕は芸術作品にしたかったという監督の野望は読み取れなかった。そこまでアホなんすか…。
私:ありだと思います。
T:アホや…。
私:「芸術作品にしたかったという監督の野望」の真偽はともかく、「カルト作品」にしたくなかったという主張はゆずれません。
T:岡田氏は商業的な成功を、僕はカルトでの成立を、永澤さんは芸術作品としての進化を、それぞれ2049に求めているわけか。面白いなあ。
私:違いますよ。引用はそれぞれ素晴らしいのですが、あの偉大なカルト作品の続編じゃない別口でやるべきだったのです。私もカルト作品としての続編を無理とは思えど切望しています。
T:なるほど!
私:ヴィルヌーヴはたいへんな才能があるのでしょうが、志向性からあのカルト作品の続編の製作は合わなかったのですね。
T:ブレラン続編は短編3部作を作っておいたのはミラクルでした。
私:それが救いでしたね!
命綱
T:それで救われました。
私:まさに。あれらは素晴らしい!


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